古のファイル共有

この記事は約11分で読めます。

1990年代後半のWindows NT 4.0 Serverが普及し始めた頃から、企業にファイル共有の文化が生まれた。
この頃は、Windows95か98、もしくはWindows NT 4.0 Workstationが一般的なクライアントだ。
PCは各自に1台という状況では無く、良くて課に数台という状況だ。大抵様子見で管理職に1台が普通だっただろう。
そんな状態なので、建前では課長もしくは部長に1台ずつ渡されるものの、「そんなものは使えん!」とかいう上司ばかりで、PCに電源が入らない状況がしばらく続いた。この時代までは上司は全てにおいて部下より詳しいという文化だったが、PCにおいては遥かに部下の方が詳しいということが当たり前に発生した。

分から無いなりに何とか頑張っている方も1本指打法は当たり前だった。ブラインドタッチの講習会が開かれ、やっとローマ字変換ができるようになった頃に、隣で華麗なブラインドタッチでEXCELとWORDを使用して書類を次々に仕上げていたのが自分だった。ちなみに心の中では「なんで一太郎とLotus 1-2-3じゃ無いんだ!」と不機嫌だった。。。
もはや嫌味を言われるレベルでもなく、MacintoshやDOSのPCのトラブル対応なんかも含めて平然とマニュアルを見ずに行っていたので、やばい新人が入ってきたと、なぜか社内中に噂になるレベルになっていた。これでも一応上場企業だったのだが、当時はまだそのレベルが普通だった。その噂は社長の耳にも入り、なぜか社長直轄のプロジェクトに放り込まれたのが、自分の人生の転換点だった。ちなみに社長には入社式にしか会ったことが無い。

この頃のOSは、Windows95系と、Windows NT系の2種類に分かれていた。ちょうどPentium Proが発売された頃なのだが、このPentium Proは高性能なものの16bit命令が苦手だった。実行はできるのだけど、通常のPentiumよりは遅くなってしまう欠点があった。
Windows95は多くの16bit命令が残っているものの、Windows NTは完全な32bit命令だけで作られていた。
そこで、Windows95系は廉価版PC、Windows NT版は高性能PCという、ざっくりとした棲み分けがあった。
Windows NTは、Windows 95用のソフトが動かないものもあったが、基本的にビジネス用途であれば問題は無かった。ブルースクリーンになる確率もWindows95系と比べると遙かに少なく、安定していた。

この時代のネットワークは混沌としていた。基幹システム関連はNetWareの「IPX/SPX」、MS-DOSからの接続は「NetBEUI」、Macintosh(Mac)のAppleTalk、そしてインターネットに接続するため「TCP/IP」の4つのプロトコルが本当に一つのネットワークケーブルに同居していた。
今は企業ネットワークといえばTCP/IPのみが分かっていれば良い。それも従来型のIPv4だけで今のところ大丈夫だ。たぶん業界的にはIPv6へ移行したいのだろが、理解できるエンジニアや担当者が追いついていない様だ。
複数のプロトコルに携わる経験が無く、単にマニュアル通りの設定しているだけなので、ネットワークの基本が理解できていないのが原因だろう。そのためかIPv6への理解は非常に難しいらしい。
単純に機器が対応していないパターンも多いのだけど、基本が分かっていれば、どうということは無い。面倒くさいというのが本音かもしれないけど。

Windows NT 4.0 Serverは、この時代の主要なプロトコルを理解できるようになっていたため、ファイル共有に関しては絶大な力を発揮した。
IPX/SPXを使うときは大抵ベンダー側のエンジニアがサポートしてくれていたので、知らなくても何とかなったし、このプロトコルを使ってWindows NT Serverへ接続することはまれだった。
ただ、他のプロトコルは別だ。

「IPX/SPX」はルーター越えが必要な支店や営業所を持つ企業で普及した。当時ネットワークといえば、このプロトコルが事実上のスタンダードだった。多くのネットワーク機器は標準で対応した。というより、どちらかと言うと主にこのプロトコルの為に存在した。TCP/IPももちろん利用されていたが、主にUNIX系のSun Microsystems社のSunOS/Solarisや、Hewlett-Packard社のHP-UX等で使用されていた。主にエンジニアリング会社や研究機関で使用されていたため、一般的な企業では主流ではなかった。この様な企業は通常お抱えのエンジニアがいたため、一般的なネットワークエンジニアにとっては、この時代より前まではIPX/SPXの方が重要だった。

「NetBEUI」は、MS-DOS時代にLanManager(通称Lanman)というソフトウェアを導入してファイル共有していた時に使われていたプロトコルである。
このプロトコルはルータを超えることはできないものの、インストールさえしてしまえば簡単にファイル共有が可能な便利な物だった(簡単と言っても、共有するにもアクセスするにもコマンドラインからコマンドを打ち込む必要があったが)
今で言うところのIPアドレスみたいなものは必要なく、ネットワークカードに付与されているMacアドレスを直接使用していた。単純な仕組みなのでヘッダー情報などが小さく、実のところTCP/IPよりも高速にファイル転送が可能だ。
ただDOSの時代はLANカードが高価だったため、大手企業やシステム会社のみが使用していた様な状況だ。しかもドライバーを組み込むとコンベンショナルメモリ(640KBの壁)が不足気味になるので、使うときにだけ組み込むような事も多かった。
そのため多くの企業は、実際にはフロッピーディスクを介したデータ受け渡しの方が、遙かに現実的だった。データ量も少なかったので、一般的には最も簡単な方法だった。

「AppleTalk」については、今は廃止されているので知らない人も多いだろう。当初は今のLANとは違い専用ハードウェアを使用した。Macintoshのプリンターポート端子(シリアル端子)に接続するもので、LocalTalk(もしくはPhoneNet)アダプターを使用して繋ぐのが一般的だった。
通信速度は230.4kbpsしか無かったのだが、繋ぎさえすればプラグアンドプレイな感じで共有ができた。ちなみにMacintoshのシリアルはRS-422規格を採用していた。ソフトウェアから見ればRS-232Cと何も変わらないのだが、ケーブルや電気的仕様が違うため、最大なんと1.2kmまで可能だ。
その後、今のLANカードと同じRJ45端子を持つものに置き換えられ、ハブなどを介して共有が可能なになった。ちょうどWindows NT Server 4.0の頃である。
自分は設定したことが無いのだがシリアルポート経由でもMacintoshと共有できたし、プリンター共有もできたのが一番大きいだろう。
「AppleTalk」の設定だけはちょっと特殊で、Services for Macintosh(通称SFM)というサービスを別途インストール必要があった。

「TCP/IP」は当然UNIX系で当たり前に使われていたが、どちらかというと新参者の扱いで、インターネットへの商用接続開始と共に、急速に普及した感じだ。
企業においてはNetWareの「IPX/SPX」から「TCP/IP」への切り替えは、2000年代中頃まで時間がかかったものの、リプレースと同時に「TCP/IP」への切り替えが徐々進んでいった。使用していない企業は最初から「TCP/IP」オンリーで設置され、本当に2~3年でネットワーク主流が切り替わった。
「IPX/SPX」のクライアントの数は緩やかに減っていったのに比べて、「TCP/IP」のクライアントの数が爆発的に増えたため、比率の関係で急速に市場が収縮した感じだった。NetWareのエンジニアは恐ろしいほどに急速に需要が無くなっていき(もちろん保守の需要はあったが)、TCP/IPが理解できるエンジニアが爆発的に増えた。特に若いエンジニアは「IPX/SPX」を捨てて「TCP/IP」を選択した。

Windows NT 4.0 Serverは、バラバラだったプロトコルをTCP/IPへ統一すべくゲートウェイ兼ファイルサーバとしての役割が大きかった。
過去の資産が、Windows NT 4.0 Serverへ集約されていった。

特にデザイン関連はMacintoshを使う事が一般的だったので、このデータが共有でききるのは非常に有用だった。
Windowsに付属するペイントでも最低限の編集はできるのだけど、写真の補正だとかは、やっぱりPhotoshopを使わないとどうにもならなかったことから、WindowsPCから、写真データを共有して、Photoshopで加工して、再度Windows NT Serverへ置くなんてこともよく行ったものだ。
意図すればMacintoshからはWindowsのフロッピーディスクを読み書きすることはできたのだが、当時のMacintoshのフォーマットはHierarchical File System(HFS)という独自フォーマットが標準であり、Windowsからは読み書きできなかった。しかもこのときWindowsはフォーマットされていないというメッセージを表示して、FATでフォーマットしようとするので、意味が分からず意図せずフォーマットしてしまいデータ消失する事故が多発した。このトラブルを解決するのにも重要だった。

この頃は、中小企業を中心に、まだ専用のファイルサーバを立てないことも普通だった。
まずはWindows95のPCのみで、ファイル共有だけは実現したいという需要もそこそこあった感じだ。
この場合、各PCがそれぞれファイル共有した。そのままCドライブ丸ごと共有するような人も珍しくはなかった。そのPCに対して誤操作でフォルダやファイルを消したりして起動できなくなるトラブルとか普通にあった。セキュリティーどころの話じゃ無い。。。
プリンターもLAN端子が無いため、誰かのPCに繋いで共有するようなことも多々あった。

今は通常だと情報システム部門がPCをキッティングして渡すのが普通なので、プリンターはもちろん、共有ファイルサーバへのショートカットがデスクトップに作られているのが普通だろう。SharePointやBox等を使用する場合も同じだ。
この頃は結構適当で、現場の担当者が設置することも普通にあった。多少でもPCに詳しいと支店のPCを全台設置させられるババを引いてしまう典型例だった。

今はファイルサーバーへ接続するためには、Universal Naming Convention(UNC)パスを使用して、「\サーバー名\共有フォルダ名」などと直接入力して使う事がほとんどだ。
昔はブラウザーサービスを使用して繋ぐことが多かった。概ねWindows XP位までだ。
マイネットワークの中の近くのコンピューターに、起動しているPCの一覧がずらずらと表示されていた。通常はルーターを超えられないので同一セグメント(同じ拠点のPC)のみが対象だ。
この機能はDNSとは全く違い、WindowsのNetBIOSによるものだ。
電源を入れてしばらくすると一覧に登録され、電源を切ると消えるようになっていた。
もちろんタイムラグがあるのだが、今日あいつは休みか?とか、もう帰宅したのか?とかファイル共有とは全く関係の無い使われ方もした。

ファイルサーバを探す時も、こちらから設定するのが最も簡単だった。ババを引いてしまった担当者も、ここから探したものだった。
もちろんMS-DOSも同様にコマンドを打つことにより探せた。
NetBEUIはもちろんTCP/IP(NetBIOS over TCP/IP)でも利用でき、UDP:137/UDP:138/TCP:139のポートを使用していた。今でも使おうと思えば使えるのだが、セキュリティーのため禁止されているのが普通だ。しかも幾重にもWindowsの設定変更が必要なので、利用にはハードルが高い。

この一覧表示させるサービスは1台のマスターブラウザーが担っており、負荷分散のため32台につき1台の割合でバックアップブラウザーも配置された。
このブラウザーサービスは勝手に設定されているものなので、ユーザーは特に意識することは無い。しかしながら誰がマスターブラウザーになるのか裏で通称「ブラウザ選挙」が行われていた。

この選挙は平等では無く、以下の順番で決められた。

  • ドメインコントローラ(Windows NT Server)
  • Windows NT Server
  • Windows NT Workstation
  • Windows 95 /98
  • 同じ強さなら最初に起動したPC

多くの企業はWindows NT Serverを使用していたため安定的に表示された。通常電源を入れっぱなしなので常にマスターブラウザーになったのが理由の一つだ。
これが、電源を切られるWindows NT WorkstationやWindows 95 /98のみの環境だと不安定になった。マスターブラウザーもバックアップブラウザーも電源が切られると、情報がなくなってしまうため1から選挙をやり直しになるのである。
その間、事実上共有フォルダが使えなくなってしまうこともあった。

固定IPなら、こんな時の為に手動でLMHOSTSを編集すれば良いのだが、そんな事を知っているのはエンジニアでも稀だったろう。
実は今でもC:\Windows\System32\drivers\etcに配置すれば利用可能だ。
実際のところは、UNCでIPアドレスを直接記載するのが最適解だった。NetBEUIの場合は残念ながら待つしかなかった。

そもそも重要だったら別途WINSというサーバーを別途設置した。Windows NT Serverの一機能だ。これはセグメントを超えて(ルーターを超えて)管理ができた。
でもやっぱり、そこまで大規模だと結局Windows NT Serverが数台あったので、そもそもブラウザー問題は発生しなかった。

ブラウザー問題で一番厄介だったのが、同一セグメントにあるSAMBAサーバーだった。LinuxやFreeBSDを使用してファイル共有をしているものだ。今でいうところのNASである。
自称PCに詳しい人が、良くわからずに設置だけして不安定になることも多かった。

/etc/samba/smb.confにある記述を

os level=65
local master=yes
preferred master=yes

とかにすると、SAMBAが好戦的になり非常に激しい「ブラウザー選挙」を裏で繰り広げた。何かある度に「常に俺様が最強である!」と宣言し続けるのだ。
適切に設定されていれば良いのだが、PC名に日本語の文字(機種依存文字も含む)が含まれているだけで不安定になった。解決策は、Windowsに任せるのが一番だった。

今はセキュリティー的な問題もあり何処の会社もファイルサーバーを設置するようになった。もちろん最近はクラウドサービスへ移行しつつある。
よって、ファイル共有に関するトラブルは著しく減った。

昔はファイル共有一つするだけでも、それなりにナレッジが必要で大変だったものだ。

コメント