古のネットワーク

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1990年代頃と現在を比べると、ネットワーク環境は似て非なる状況だった。
インターネットへ接続できるようになったのは実質的にWindows95からだし、一般的な企業においてファイル共有の概念が生まれたのはこのときからだ。
それまでは多くの企業においては、フロッピーディスクのやりとりがファイル共有に相当していた。

本支店があるレベルの企業においては、会計や販売管理のために専用線が敷設されていた。いわゆるオフコンと呼ばれるホストコンピュータを中心として、各支店はダム端末とよばれる、単に入出力のためだけの端末が配置されていた。
IBM Power Systems(いわゆるAS/400)なんかは未だに活用している企業も多い。
この時代はATM回線と呼ばれる回線が普及しており、通信速度は128Kbps程度が一般的だった。
計算は全てホストコンピューターで行い、文字データのやりとりだけを行うため、これで十分な通信速度だった。ファイル共有というよりデータ共有に近いだろう。

もちろん、ファイル共有はMS-DOSの時代からあった。
MicrosoftのLAN Managerというソフトウェアを使用すれば、拠点内で手軽にファイル共有をすることが可能だったし、Novell社のNetWareというソフトを使えば、拠点間通信も行えた。
プロトコルであるTCP/IPは完全に新参者の扱いだった。
それぞれNetBEUI、IPX/SPXとよばれ、ネットワークエンジニアは主にNetWareのサーバー構築と、IPX/SPXに精通していた。
NetBEUIに関しては、Windows95の標準プロトコルだ。今では考えられないがTCP/IPはオプション扱いだった、自分でドライバーのインストールなどを行う必要があった。
サブネットマスクだとかデフォルトゲートウエイとか完全に理解している人が前提の扱いでマニュアルも無かった。それに対して、NetBEUIは標準設定でファイル共有が手軽に利用できた。200台程度までのネットワークまでは構築できたが、プロトコルの制限で本支店間の通信ができないことが最大のデメリットだった(技術的にはL2閉域網を使えば可能だけど現実的では無かった)
対してNetWareは大規模ネットワークに対応し非常に高機能だったが、それなりに高度な知識を必要としていたため、大企業がシステムベンダーに依頼して敷設するのが一般的だった。通信だけで無くデータベースだとかシステム構築の一部分の扱いだった。
NetWareは今で言うところのWindows Serverの様な扱いで1990年代までは非常に重宝されたが、2000年代に入る頃までにはTCP/IPとWindows Serverに駆逐され、多くのNetWareのエンジニアは過去の遺物となってしまった。

過渡期のWindows Serverのエンジニアは、その辺の扱いにも詳しい必要があった。Windows NT3.51とNT4.0の時代までだろうか。
別々のシステムからファイル共有を利用するため、TCP/IP、NetBEUI、IPX/SPXに加えてMacintosh (Mac)とも繋げるためAppleTalkのプロトコルも理解が必要だった。
クライアント間は通信できないものの、Windows Serverを介してデータ共有を図った。
ファイル共有の他に、プリンター共有も多様された。
それまでいちいちケーブルの差し替えで対応していたり、フロッピーディスクにコピーしたデータをプリンターに繋がっているPCへもってきて印刷するような手間が無くなった。ただ当時はプリンターにLAN端子が無いので、今とは設定方法が少々違ったが利用者に取っては今と変わらない。

当時はまだまだネットワークカードはオプションで、拡張カードとして差し込む必要があった。Windows95より前は10BASE-2が主流だった。ケーブルそのものが全く違い、テレビアンテナと同じような同軸ケーブルだった。今と全く同じ「RJ45型ジャック」が普及したのは、Windows95前後の頃である。
10BASE-5が最も古いのだが、老兵は見たことはあるものの、使用や敷設をしたことが無い。当時既に一般的には普及することも無く淘汰されてしまった様な感じだ。
10BASE-2の拡張カードも存在したが、WindowsNT4.0が普及し始めるとPCへLANコネクタが標準搭載され、それは100BASE-TXが主流だった。

10BASE-2が利用できるHUB

既存のネットワークは10BASE-2で敷設されており各端末は100BASE-TXだったため、基幹部分のLAN線は同軸で、いわゆる島HUBは10BASE-Tのものが多用された。
アップリンクに相当するところが10BASE-2になっており、今では絶滅しているHUBだ。
もちろん100BASE-TXのHUBもあったが、10BASE-Tと100BASE-Tが混在すると通信が不安定になることが多く、何より値段が全然違った。
そもそも当時は繋がれば良く、100BASE-TXを必要とするような速度環境では無かったので問題が無かった。

10BASE-2を基幹ケーブルとするのも、実運用上でメリットがあった。
日本企業は島型に机を配置するのが基本だが、OAフロアーなんか普及する前だったのでケーブルはむき出しである。
見栄えが悪いがどうしようもなく、結局LANケーブルをガムテープで固定する企業が多発した。
10BASE-2のケーブルは同軸なので太く、椅子とかに踏まれても何とか耐えられた。対して10BASE-Tは内部のケーブルが細く、すぐに断線してしまうのだ。
もし断線してしまったら、それはやっぱりネットワーク担当者の仕事なのである。
「RJ45型ジャック」のLANケーブルは普通に販売していたが、PCショップなどでしか扱いが無かった。そして少々高価で、ケーブル長も今のようにバラエティが少なかった。
また工事業者に依頼するとなると、当時は特殊技能ということで高額だった。
ということで、ネットワークケーブルの自作もネットワークエンジニアの一つの仕事だった。それを防ぐにも10BASE-2のケーブルは都合が良かった。

ちなみに老兵もLANケーブルを適宜加工していた。秋葉原で100mのケーブルとコネクタを買ってきて自作するのだ。今でもLANコネクタ圧着工具を自前で持っていたりする。
今は繋げば自動認識されるが、LANケーブルにもクロスケーブルというものがあり、接続に必要なことがあった。これはなかなか手に入れにくかったのだが自作してしまえば簡単だ。

ケーブルを自作するのは意外とテクニックが必要で、慣れないと1本10分くらいかかった。しかもケーブル番号を間違えたり差し込みが甘く適切に結線されないことも多かった。
100BASE-TXまでは、実は8本あるうちの4本しか使っていない。1,2,3,6番ピンだけだ。
当時の安物のケーブルはコストカットのため4本しか無いものもあった。
そのためケーブルチェッカーで×となったものも、1,2,3,6番が使えれば良く「通信できれば良し!」として敷設したのは、今だから言える秘密である。

ちなみに自作すると本当に通信速度に影響するので注意が必要だ。100BASE-TXまでは適当に作っても問題がなかったが、1000BASE-Tになると微妙に速度が落ちたり、運が悪いと100BASE-TXでしか使えなかったりする。使えてしまうので、かえってたちが悪い。
そのため今はケーブルも豊富で安くなったので、購入する事が多くなった。
生業として敷設するには資格が必要だが、敷設担当のプロの方は本当に早いし正確なのである。ちょっとしたパッチケーブルの作成もあっという間だ。サーバーラックに接続された膨大なケーブルは非常に美しく配置でき、かつメンテナンス性も良い。おそらくこれから修行しても仕事として間に合わないだろう。

昔はネットワークエンジニアは繋がる物が全部担当だったが、今は完全分業制だ。今振り返ると、当時と今とでは仕事の内容が全然変わってきているのだ。

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