インターネット博覧会(インパク)

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現在大阪万博が開催されているが、その昔「インターネット博覧会」というものがあった。
内閣総理大臣官房新千年紀記念行事推進室という部署が担当した、2001年の1年間のみ開催された日本政府の企画だ。
「世界初」のインターネット上のイベントとの触れ込みで、110億円もの大金が投じられた。

実のところ、これより5年前に「インターネット・エキスポ’96」というものが開催されていた。総務省にも記録が残っているのだが、こちらは無かった事になったようだ。
このページにあるNTTは分かってもKDDは分からない人も多いだろう。今のKDDIの前身で国際電話を扱う特殊会社だった。ソフトバンクももちろん存在していたけど、当時は単にソフトウェア卸業で通信分野にはまだ手を出していない。前身企業のTu-Kaがそれに相当するんだけど、まだまだ携帯電話が普及し始める頃だった
日米欧の接続が45Mppsと記載があるが当時としてはかなりの接続速度だった。今では個人で10Gbpsの速度で接続できる時代となったため隔世の感を覚える。
老兵がインターネットを初体験したのは、ちょうどこの頃だ。
はっきり言って今から見るとデザインがダサいが、当時はこれが限界だった。ブラウザの機能は少なかったし、通常ダイアルアップ接続なので最低限の画像しか使えなかったのが現実だ。
それでもカラーで情報を閲覧できるのは新鮮な時代で、ワクワクしながらこのサイトに訪れた事を覚えている。

それから5年後に「インターネット博覧会」が開催された。通称「インパク」である。
愛称に「楽網楽座」と付けられたのだが、おそらく誰も覚えていないだろうし使っていた人も聞いたことが無い。
ちょうどこの頃に一般家庭にもインターネットが普及を始めた感じだ。自分はエキスポ’96からどのくらい進歩したのか、ちょっと期待していた物だった。

「国際博覧会条約」によると「二以上の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」ということになるのだが、実態は民間企業の為の広告宣伝サイトの方が近かった記憶がある。

「特定テーマ枠」と「自由参加枠」があったのだが、多くは「自由参加枠」だった。
例えば、この頃のフジテレビは破竹の勢いで、「インターネットも、楽しくなければテレビじゃない!」という標語の元に連日トップのアクセス数を誇っていた。
もちろん、特定テーマで勝負している会社もありナフコ社は「人類の宝としての酒」という、すばらしいパビリオンを開設していた。

多くの企業が参加していたのは理由もあった。条件付きで広告や商取引が可能だったのだ。
「政府サーバ上では広告の掲載又は商取引を行ってはならない」というガイドラインがあったが逆に言うと政府サーバー上でなければ可能だ。
事業拠点が日本国内にあり販売実績が1年あれば、インターネット通販が可能だった。
広告も最上部に設置せずに表示画面の10%以下ならOKだ。

アクセスランキングがあったので、人気パビリオンは誰でも知ることは可能だった。
地方自治体、公益法人、NPOなんかも参加していたが、やっぱり目立つことは無かった。英語、中国語、韓国語のページが用意されていたのだが、海外パビリオンの記憶がほとんど無い。
ほとんどは「インターネットは良くわからないけど将来金になりそう!」ということで設置した民間企業ばかりだった。比較されるので参加企業はそれなりにお金をかけていたようだ。そのためコンテンツは充実していた。
更新頻度も民間企業の方が高かったのも理由の一つだろう。

この「インパク」だが、始まる前からすこぶる評判が悪かった。ただの金の無駄遣いにしか見えなかったのだ。
最終的に5億アクセス以上を集めるサイトだったのだが、非常に不人気のままで終わった。開始直後の2001年2月位まではもの珍しさでアクセスをしたのだが、その後は話題にもならず忘れ去られるような始末だ。

公共機関のパビリオンは、内容が画一的で特に面白みがなかったのが現実だ。大して民間企業は面白みがあったのだが閲覧に堪えないほど重かった。

このころは動的にページを動かすとなると「Adobe Flash Player」しかなかった。PCを購入すると、まずこのアプリを雑誌のCD-ROM等からオフラインでインストールするのはあたりまえの事だった。
インストールはいくら時間がかかっても問題ないのだが、コンテンツのダウンロードに異常に時間がかかった。わずか1MBのデータをダウンロードするのに5分とか当たり前の時代だ。どのサイトも目立とうとしてFlashコンテンツに力を入れていたわけだが、一般的なサイズでは無かった。とてもじゃないけど待てなかった。この時代はダウンロード量で課金ではなく時間課金だった。待つ時間も課金されるのでとても耐えられる物では無かったのだ。
よって最初は物珍しさでアクセスするものの、段々とアクセスしなくなったのだった。
一部では常時接続ができるようになってきたが非常に高額で、結局アクセスできたのは上級国民のみだった。

もちろん自宅はダイアルアップだった。ISDNの月額料金も払えなかったので56Kモデムをチューニングしていたのだが、このサイトには全く歯が立たなかった。
ちょうどこの頃、仕事ではサーバーの設置だとかLANの敷設だとかは自分の担当だった。
会社は常時接続だったのだが、まだまだ全社員にPC貸与をしていない時代だ。
当時、報奨金目的でMCPやらORACLE MASTERやら取っていて、そのためか優先的にPCを回して貰える立場だった。PCも1ランク上だったしモニターも21インチで1600*1200の解像度が出せるものを用意して貰っていた。

目の前にPCがあると、誰でもおサボりタイムがあるのはご存じの通り。
このおサボりタイムに「インパク」を見るのが丁度良かった。
ばれても「政府企画のサイトなので情報収集に必要です!」と答えれば何も言われなかった。
一日近く情報収集をしていたこともあったな。。。なので「インパク」をそれなりに知っているのである。
ただ常時接続でも重いのには変わりはなかった。ブラウザを複数立ち上げて裏でダウンロードしていた。

その後、政府のコメントとしては成功でブロードバンドの普及に役立ったということだったが個人的にはかなりの疑問だ。
ちょうどADSLが普及し始めたのがこの頃で、インパクがあろうがなかろうが普及したとは思うのだが、この悪夢を知っている方はこぞって申し込みをしたのは言うまでも無い。老兵もこれが原因でADSLの導入を急いだ。
ちなみに「インパク」の資料は総務省に相当ありそうなものなのだが、痕跡程度なんだよね。
www.inpaku.go.jp というドメインで開催されていたのに翌年には繋がらなくなったし。
たぶん皆さん覚えていないので、無かったことにしたいのだろう。そんな企画だった。

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